大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松山地方裁判所 昭和40年(行ウ)3号 判決

原告 村上政行

被告 新居浜労働基準監督署長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

I、当事者双方の求める裁判

(原告)

「被告が昭和三八年二月一四日付で原告に対してなした労働者災害補償保険法に基づく休業補償費を支給しない旨の決定はこれを取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

(被告)

本案前の申立「本件訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

本案についての申立「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

II、当事者双方の主張

(被告―本案前の申立の理由)

本件訴は出訴期間を徒過した不適法なものである。すなわち、原告は本件処分につき労働保険審査会に対して再審査請求をなし、昭和四〇年二月二〇日その裁決書を受領し、同年五月二〇日に本件訴を提起した。本件処分に対する訴は、その処分についての審査請求に対する裁決を経ることが前提要件とされ(行政事件訴訟法第八条第一項但書、労働者災害補償保険法第三八条、第三五条)、かつ出訴期間についても審査請求に対する裁決のあつたことを知つた日から起算して三ケ月の不変期間内に提起することを要する(行政事件訴訟法第一四条)とされている。

ところで、右出訴期間の起算日につき被告は初日を算入すべきであると考える。それは、右行政事件訴訟法第一四条の第一項と第四項では法文の用語からしても全く別異であるうえ、第四項は審査請求の請求者に対し裁決があるまでは出訴期間延長の利益が受けられる旨を明らかにしたのであるから、第一項の処分または裁決の場合と、第四項の処分または裁決を前提とする審査請求に対する裁決のあつた場合とは、自ら出訴期間の起算日が異なるものと解さなければならず、第四項は法令に別段の定めがある場合に該当すると解すべきである。

したがつて、本件訴は出訴期間を一日徒過した不適法なものであるから、その却下を求める。

(原告―請求原因)

一、原告の業務上の負傷および本件に至る経緯

(1)、原告はもと訴外住友化学工業株式会社新居浜製作所肥料課に勤務していたが、昭和三〇年二月一日同製作所の備品倉庫において就業中、階段から転落して階下にあつた差圧電送器で頭部を打ち、その際傍にあつた自転車が倒れかかり、このため頭部その他に負傷し、同日より住友別子病院で「頭部・背部・右膝部打撲症」の病傷名のもとに治療をうけ、同年三月二日一旦治癒(第一次治癒)した。

(2)、ところが、その後病状が再び悪化したので、原告は同年八月三〇日被告に対し再発申請および療養補償費支給の請求をしたが、同年一〇月一五日被告から再発と認め難いとの理由で不支給の処分をうけた。原告はこれに対し同年一二月一三日愛媛労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたところ、昭和三二年三月二〇日付をもつて、昭和三一年六月二四日より再発と認められ原処分を取消す旨の裁決を得た。

そこで、原告は名古屋大学日比野内科入院(昭和三一年六月二四日―同年一〇月一七日)、新居浜精神病院通院(同年一〇月一八日―同年一一月九日)、愛媛労災病院通院(同年一一月一〇日―昭和三二年九月一一日)、関西労災病院入院(同年九月一二日―同年一〇月一五日)、愛媛労災病院入院(同年一〇月一七日―同年一一月六日)により加療をうけ、昭和三二年一一月六日一旦治療(第二次治癒)した。

(3)、しかし、その後再び病状が悪化したため、原告は昭和三三年一月六日被告に対し再発申請および療養補償費支給の請求をしたところ、同年三月一四日被告から療養の効果を認め得ないとの理由で、再発不認定・療養補償費不支給の処分を受けたので、これに対し保険審査官に審査請求をしたが、同年六月三〇日棄却され、さらに労働保険審査会に再審査請求をしたところ、昭和三五年四月三〇日これについても棄却された。そこで、原告はその後被告に対し障害補償費支給の請求をしたが、同年一〇月一二日申請の障害等級に該当しないとして不支給の処分をうけ、これに対する審査請求も昭和三六年三月三日棄却された。

二、本件処分およびその違法性

(1)、原告は昭和三七年七月二四日被告に対し再発申請および昭和三七年四月一日以降の休業補償費支給の請求をしたが、これに対し被告は昭和三八年二月一四日原告の現症は前記傷病の再発とは認められないとの理由で、休業補償費不支給の決定(以下本件処分という)をした。原告はこれに対し保険審査官に審査請求をしたが、昭和三八年六月一〇日棄却され、さらに同年八月八日労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、昭和三九年一二月二八日これについても棄却され、その裁決書を昭和四〇年二月二〇日受領した。

(2)、原告は前記のとおり昭和三二年一一月六日一旦治癒したのであるが、その後症状が悪化したため昭和三三年一月六日付で療養補償費支給の請求をし、これは不当にも当局の認めるところとならなかつたが、その間各所の医院で治療を受けた結果医療効果があがり、昭和三五年一二月二六日には新居浜市内訴外秋月商店に勤務し軽度の作業に従事できるまでになつていた。ところが、昭和三七年二月九日より風邪に罹り、咳をする度に首筋に衝撃があり、左半身・脊髄・左上下肢に痺痛を生じ、休業して新居浜市内三木医院において治療を受けていたが、同年五月中旬ころより症状が次第に悪化したので、同年七月一七日愛媛労災病院へ転医し、更に中部労災病院でも治療を受けた。その結果、当初は早歩きはもとより着衣、脱衣にも看護婦の助けが必要な状態であつたが、医療効果があがり、駈足程度は可能となり、自由に着衣、脱衣ができるようになり、日常生活にさほど支障を生じないまでに回復した。

(3)、本件処分に対する再審査において、労働保険審査会は「その症状は第二次治癒当時の症状と同程度のものであり、これ以上医療効果は期待し得ない」との理由で本件処分を支持している。これは前記昭和三〇年二月一日の災害発生につき、会社側が原告からの事情聴取もせずに、勝手に作成した「公傷現認書」中の誤つた災害発生状況の記載により、医師の誤診を惹起したためか、あるいは、被告らが医師・会社側と共謀して労災保険支給の打ち切りを画策したものと考えられる。いずれにしても、前記のような原告の加療経過だけに徴しても医療効果は歴然と認められるのであるから、原告の休業補償支給の請求に対しこれを支給しない旨の本件処分は違法であるというべきである。

よつて、申立のとおりの判決を求める。

(被告―請求原因に対する答弁と主張)

一、請求原因一項(1)(2)(3)の事実(但し(3)の症状が悪化したとの点を除く)および二項(1)の事実は認める。同二項(2)(3)のうち、原告の症状に医療効果があるとの点は次項に詳記するとおりこれを否認する。

二、原告の主張する昭和三七年四月一日以降の自覚症状は、次にのべるとおり、昭和三〇年二月一日の災害による傷病と相当因果関係がない。かりに、相当因果関係があるとしても、右自覚症状は昭和三二年一一月六日の治療認定時の症状と同程度であり、医学上これ以上の医療効果を期待し得ず、いずれにしても、労災保険上の休業補償支給の対象とはならない。

(1)、原告の自覚症状と診療を担当した各主治医の医学所見および治療経過を総合すると、原告の主訴はすこぶる多岐にわたつているが、これを裏づける他覚的所見に乏しく、治療内容は自訴する症状に対して全然医学的に治療が行なわれなかつたり、あるいは単なる症状抑制治療が行われているにすぎない。原告の主訴症状は第二次治癒当時の症状とほゞ同様であり、現在の臨床医学では的確な治療法を有せず、主治医の中には原告の症状を「心因性の災害神経症(外傷を契機として自己の災害を過信し、このため精神的器質的変化が証明されないにもかかわらず、疼痛・ふるえ・めまい・尿意等の神経症状が発現する症状」)と診断する者もあり、一致して医療効果は期待できないとしている。

(2)、ところで労災保険法上においては、労働者に対する災害補償義務を事業主に代り行なう制度の本旨からして、器質的欠陥、機能的損傷、後遺症状を残している場合においても、その症状が安定し長期にわたつて固定性が認められると共に、その後の医療効果が期待し得なくなつた場合には、これを治癒と認定し、爾後の療養・休業については療養・休業補償をしない建前となつている。更に同法上の再発と認められる為には、その症状が治癒当時に比して増悪し、かつ療養の効果が期待できその必要性が医学的に立証されなければならない。

(3)、本件において、被告は、前記のとおり原告の訴えている現症が第二次治癒当時の症状と全く同程度のものであつて特に増悪したものではなく、しかも原告の主訴症状に対しては医療効果が期待できないと判断し、原告の休業補償請求に対しこれを支給しない旨の決定をした。本件処分についてはこれを取消すべき何らの違法な点は存しない。

よつて、申立のとおりの判決を求める。

III、証拠関係〈省略〉

理由

(本案前の申立について)

原告が本件処分につき労働者災害補償保険審査官に審査請求をしたところ、昭和三八年六月一〇日これを棄却され、さらに同年八月八日労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、昭和三九年一二月二八日これも棄却され、その裁決書を昭和四〇年二月二〇日受領したことは当事者間に争いがなく、本件訴の提起が昭和四〇年五月二〇日であることは記録上明白である。

そこで、行政事件訴訟法第一四条第四項の出訴期間の算出にあたり、原告が右裁決書を受領した日を初日として算入すべきか否かにつき判断する。

行政事件訴訟法第一四条第四項は「裁決があつたことを知つた日………から起算する」と規定されているので、右規定の形式上は裁決があつたことを知つた日も初日として算入するが如く読み得るのであるが、しかし、同条第一項と第四項をとりわけ別異に扱うべき理由は見出し難く(被告主張の如く第四項が審査請求をした者に対し出訴期間延長の利益を与えたものであるとしても、そうであるからといつて当然第一項と異なり初日を算入してその出訴期間を短縮すべきであるとはいえない)、右第四項は第一項および第三項の期間を算定するに際し審査請求をした者についてはこれに対する裁決があつたことを知つた日又は裁決の日を基準としてこれをなすという趣旨で設けられたものとみるべきであつて、結局本件においては、右第四項、第一項、同法第七条、民事訴訟法第一五六条、民法第一三八条、第一四〇条の規定に従つて期間の計算をなすべきものと解すべきである。

したがつて、本件取消訴訟の出訴期間の満了日は、原告が裁決のあつたことを知つた日である昭和四〇年二月二〇日の翌日から起算して三ケ月に相当する同年五月二〇日であるというべきである。そうすると、本件訴の提起は前記のごとく昭和四〇年五月二〇日であるから、決定の期間内になされた適法なものというべく、被告の本案前の申立は理由がないといわねばならない。

(本案について)

請求原因一項(1)(2)(3)記載の事実(但し(3)記載事実中症状が悪化したとの点を除く)および二項(1)記載の事実は当事者間に争いがない。

そこで、原告の訴える症状が、昭和三二年一一月六日第二次治癒と認められた当時の症状の再発と認め得るかどうかを検討する。

成立に争いのない乙第二号証、第三号証、第四号証、第五号証、第六号証、第八号証、証人曾我部宣政の証言により真正に成立したと認められる甲第三号証の八、証人三木豊子の証言によりその裏面も(表面は成立に争いがない)真正に成立したと認められる乙第一一号証の一、証人三木享の証言によりその裏面も(表面は成立に争いがない)真正に成立したと認められる乙第一一号証の五、証人矢形延寿、同弘中満、同三木豊子、同三木享、同荻田明宏、同鈴木定馬、同曾我部宣政、同井原徳治、同山田登代子の各証言、原告本人尋問の結果を総合すると、

原告は右第二次治癒と認定された当時乙第八号証九枚目以下に記載されているような各種の症状を訴えていたのであるが、これを要約すれば「頭部右半分の痺痛、身体左半分の痺痛・知覚鈍麻乃至消失、左上肢の運動障害、時には頭部左半分や身体右半分の痺痛、右上肢の運動障害・知覚鈍麻、視力の衰え(はつきり見えない、重なつてみえる)、右耳難聴、陰部の痛み、頻尿、脱肛、記憶力の減退、言語障害」などであること、しかも、右症状は固定し治療効果がないものとして労働基準監督署長から治癒の認定がなされたこと、その後右症状はやゝ後退し原告は昭和三五年一二月末ころから新居浜市内のスクラツプ回収業の秋月商店に勤務して事務的仕事に従事し、昭和三六年一一月ころ同店の作業員が不足した時には、自ら酸素ガスによる切断器具を使用して外径約五~六糎の鉄パイプスクラツプの切断をし、切断をしたわずかの量については自分で運搬するなどの軽作業をしたこともあつたこと、ところが、原告は昭和三七年二月に風邪をひき、その結果再び前記の如き症状が悪化したものとして医師の診断を受けたが、その際原告を診察した三木医院三木豊子医師およびその後同年七月から八月にかけて同人を診察した三木医院三木享医師、愛媛労災病院整形外科矢形延寿医師、同泌尿科中村隆彦医師、同眼科弓山真弓医師、同耳鼻咽喉科山中康正医師らに対する原告の自訴はこれを総合すると、「頭重・痛、右頭部左半身の痺痛・疼痛、頸椎部の自発痛・圧痛、左上下肢の知覚障害、両膝関節痛、右耳難聴、視力障害・複視、脱肛、時々失尿・頻尿、尿道の痛み」などであつたこと、そして原告は現在でも「左半身の痺痛・疼痛、右上下肢の痺痛、視力障害、右耳難聴」などを訴え、特に手足の痺れが前記風邪をひいたころよりひどくなつた旨自訴していること、ところで、これらの原告の自訴する症状に対する医師の意見およびその治療方法であるが、前記原告が第二次治癒と認定された当時の前後である昭和三一年から昭和三二年ころにかけて原告の治療にあたつた名古屋大学付属病院日比野内科岡本記医師、関西労災病院鮫島拓弥医師、愛媛労災病院萩原一輝医師、住友別子病院弘中満医師らはだいたいにおいて原告の症状を外傷を契機として発生した神経症の症状であると診断しており、たゞ右岡本医師のみは頸椎部に癒着性蜘蛛膜炎がある旨述べるが、それと同時に頸椎部における器質的変化に基づいて原告の症状の一部の知覚興奮性は説明できるものの、その他のかなり多くの部分が精神的要素に起因する旨述べていること、実際ミエログラフイによれば頸椎部の異常もきわめて軽微であるか、またはほとんど正常に近い状態であること、他の医師は原告の自訴する症状に対応する器質的変化を確認していないこと、右岡本医師、同鮫島医師ともに原告の詐病的性格を指摘していること、前記の如く原告が風邪をひいた後治療にあたつた三木医院三木豊子医師はビタミン剤、消化剤、解熱剤、鎮痛剤などを投与したのみで他の治療法の存在につき何ら述べていないこと、同じく三木医院三木享医師は何ら治療をなしておらず、また、原告の如き神経症状は通念として波があり本人の精神状態、疲労度、栄養状態により影響されて変化する旨述べていること、同じく愛媛労災病院矢形延寿医師はビタミン剤・精神安定剤の投与、頸部のマツサージ、膝関節の低周波療法をしたが原告の昭和三七年当時の症状は昭和三二年の第二次治癒時の症状と類似している旨述べていること、同病院泌尿科中村隆彦医師は何ら治療をなさず、尿道造影によるも異常は認められず、原告の自訴につき治療効果はない旨のべていること、同病院眼科弓山真弓医師は何ら治療をおこなわず、眼球運動、複像検査、視野検査によれば近視共同性斜視がある他は何ら異常なく、原告の自訴につき治療効果はない旨述べていること、同病院耳鼻咽喉科山中康正医師は何ら治療をなさず、聴力検査により右耳に一〇デシベルの聴力喪失が検出されたが、軽度であつて鼓膜には異常なく、右側感音系難聴(神経症と同じ)であつて、原告の自訴につき治療効果はない旨述べていること、

以上の各事実を認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。

以上を総合すると、原告の訴える症状は長年月にわたり非常に多岐にわたつているのであるが、結局原告の症状は一進一退しているのではないかとみられ、原告が第二次治癒と認定された昭和三二年一一月二日当時のそれに比して、原告が風邪をひいた昭和三七年二月九日以降の症状が特に増悪したものとは認め難く、また原告を診察した各科医師は原告の自訴に対する他覚的所見をほとんど認めておらず、その多くの部分が神経症状であるとの意見をもつており、また治療としては症状を一時的に抑制するものが行なわれているだけであるか、もしくは全く行なわれていないことが認められるので、原告の症状は第二次治癒によつて固定化し、その症状に対し効果的な治療方法がないものと認めるべきである。原告本人尋問の結果中には第二次治癒時より症状が明らかに悪化した旨の供述があるのであるが、これは前記認定の事実に対比して俄に措信し得ず、また前記乙第一一号証の五三木享医師の診断書中には、症状が昭和三七年当時悪化し高度となつた旨の記載があるが、これは同診断書中のそれに続く文言や同人の証言によれば、第二次治癒時の症状に比して厳密な意味で悪化したと認めて書いたものとは認め得ず、また成立に争いのない乙第七号証の三二により原告の主張する如き写真と認められる甲第七号証の一三の八、九によれば、原告は昭和三八年ころに右写真のごとき頸椎保持用のコルセツトを着用したことがあつたことは認められるのであるが、他方成立に争いのない甲第一号証の四、五矢形延寿作成の診断書によれば、昭和四〇年ころ原告の症状は軽快した旨の記載もあるのであつて、結局これらの証拠によるも前記結論を左右するに至らないのである。

原告は甲第二号証の一公傷病調書の「傷病の原因及び発生状況」欄の記載に誤りがあるため、これが医師の誤診を惹起したか、あるいは被告らが医師と画策して保険給付の打切りをした旨主張するのであるが、右記載欄が果して事実と異なるか否かは、原告の傷害発生状況の直接の目撃者が居ないので、その判定は困難であるが、その点はともかくとして、右記載欄の相異が医師の誤診を招いたものであるとの点、および被告と医師が保険給付打切りにつき画策したものであるとの点については、本件全証拠によるもこれを認め得ない。

ところで、労働者災害補償保険法第一二条第一項第二号の休業補償は、労働基準法第七六条第七五条により労働者が業務上負傷し、または疾病にかかつた場合、その療養のため労働することができないために、賃金を受け得ないときの補償を行うものであるところ、労働者災害補償保険法第一二条第一項第三号、労働基準法第七七条が負傷または疾病のなおつたあと身体に障害が残ることを当然の前提とし、その程度に応じて障害補償を支給することにしていることを考えれば、休業補償が支給される療養中とは負傷または疾病に起因する症状の存する全期間を意味するものではなく、その負傷または疾病の症状が固定し、もはや効果的な治療方法が期待し得ない状態になつたときは、たとえ身体に障害が残存していても右負傷または疾病は労災法上は治癒したものとみなされ、右障害が障害補償の支給の対象となるのは別として、療養補償および休業補償の対象とはならなくなるのであり、したがつて、一旦治癒したと認定された傷害または疾病が再発したというのは、右治癒後に傷害または疾病が再び悪化し、そして再び医療効果が期待し得る状態になつたことを意味すると解すべきである。しかるに、原告の症状は前示認定のごとく一進一退をとつており第二次治癒とされた当時に比して昭和三七年に風邪をひいた後の症状が特に増悪したものとは認め得ず、また現在の医学においてその症状に対し効果的な治療方法があるとは認め得ないのであるから、原告の症状は再発とみとめることはできないといわねばならない。そうすると右同一理由で原告に対し昭和三七年四月一日以降の休業補償費を支給しないとした原決定は、その余の点につき判断するまでもなく、正当であることになる。

よつて、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 秋山正雄 伊藤滋夫 関野杜滋子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例